同志社大学とキリスト教主義
同志社教育のバックボーンとなる キリスト教主義
キリスト教に基づいた「良心」に従って生き、その「良心」の中で「自由」を行使する
同志社大学では「良心を手腕に運用する人物の養成」という建学の精神にもとづいて「良心教育」を展開しています。そして建学の精神を実現するための教育理念として「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」を掲げています。ここまでは大学案内やホームページにも明記されていて、ご存知の方も多いでしょう。しかしこの三つの教育理念が並び立つものなのではなく、キリスト教主義が、自由主義・国際主義を基底で支えるものであるということは意外に知られていません。
本学の創立者、新島襄は、明治十年代中葉の演説草稿の中で、「人を愛するは、一国に限らず世界の人をも人と見なしてこれを愛せば、決して区域の狭き者にあらず」(同志社編『新島襄 教育宗教論集』岩波書店 二〇一〇年二九八ページ)と述べています。このように世界宗教であるキリスト教に裏打ちされた「愛人主義」、すなわち一国にとどまらず、人種、民族、国家を超えて、同じ人間同士として愛し合い、国家から独立した民間の力で世界に貢献することが、同志社の自由主義、国際主義なのです。みなさんが、学生生活を通して同志社大学のキリスト教主義について考え、良心を育み、卒業後、社会のそれぞれの場でその力を発揮することができるよう願っています。
同志社の「キリスト教主義」はこうして生まれた
ラットランド・アピール ─新島、熱き志を語る
同志社の真の出発点は、「ラットランド・アピール」にあります。1874年10月9日、米国ヴァーモント州ラットランドのグレイス教会で開かれた、アメリカン・ボード(伝道団体)の年次大会での出来事でした。留学を終えて宣教師として帰国する直前、新島襄は、約3,000人の会衆の前で、キリスト教主義学校を日本に設立するという志を熱く語り始めたのです。
日本の同胞に思いを馳せながら、キリスト教主義学校設立の必要性を力説し、涙ながらに懇願する新島の真摯な姿に感銘を受けた人々から次々と寄付の申し出があり、約5,000ドルの寄付の約束を得ました。それが同志社の礎となったのです。その中には、帰りの汽車賃の2ドルを差し出した貧しい老農夫も含まれていました。同志社は、新島の志に賛同したキリスト教徒の人々の善意から生まれたのです。
同志社大学設立の旨意 ─「基督教主義を以って徳育の基本と為せり」
ラットランドでの演説から約1年後の1875年11月29日、新島は京都に同志社英学校を創立しました。さらに7年後には、新たに大学を設置するための運動を開始しました。キリスト教主義大学設立は、新島の宿志だったのです。当時は大学と言えば官立の東京大学があるのみでしたから、私立の大学、しかもキリスト教主義の大学を設立するための資金や支援者を得るのは容易なことではありませんでした。
より多くの人々の支援を得るために作成されたのが、「同志社大学設立の旨意」です。そこには新島の教育方針が集約されています。知識偏重の教育ではなく、徳性を磨き、品性を高め、精神を正しくし、良心を手腕とする人物を養成することを目標とし、そのためにキリスト教主義を徳育の基本とする、と明記されています。
「同志社大学設立の旨意」のページ
同志社の精神的な基底をなすキリスト教主義
同志社の支柱である自由主義と国際主義を基底で支えるものは、キリスト教主義です。これは同志社独自の校風を形成する最大の要素となっています。
新島は、学生一人ひとりを、神がつくられた「人格」として最大限に尊重しました。以来、「人ひとりは大切なり」が大事な校風として守られてきました。
その結果、聖書にあるように、隣人を尊重し、他者に奉仕する「地の塩、世の光」とも言うべき個性豊かな多くの卒業生を、いろいろな分野へ開拓者として送りこんできました。そうした営みは、これからも続きます。
キリスト教主義×自由主義
同志社はあくまでも自由な学園です。その淵源は創立者にあります。自由を求めて脱国(密出国)した新島襄は、さいわいにもアメリカの自由な風土で自由人になって帰国し、京都に自由な学園を創立しました。
彼自身、「我が大学の空気は自由なり」と断言、自負しています。「自治自由の春風」が吹く学園が彼の理想でした。その自由は、聖書から来ています。「真理はあなたたちを自由にする」と新約聖書(「ヨハネによる福音書」8章32節)にあるとおりです。この聖句はラテン語で今出川キャンパスの明徳館ならびに京田辺キャンパスの知真館1号館の壁面に掲げられています。
ここで学ぶ学生一人ひとりが真理と自由な校風に触れて、自由人になるというのが、本学の願いです。
キリスト教主義×国際主義
新島襄は、アメリカで大勢の信徒たちから種々の援助を受けて、8年余も留学生活を経験することができました。正規に大学を卒業した日本人第一号です。そうした留学生・国際人が、同僚のアメリカ人宣教師たちと京都に創設した学園が同志社です。
そのため、早くから留学も盛んです。最初の入学生 8名のうち 2 名が、1880 年代初頭にアメリカ留学し、帰国後に帝国大学(東京大学)教授になりました。最初の卒業生15名中、 5 名も留学、それも全員イェール大学です。新島の死後、彼らは次々と新島を継ぐ同志社校長として、恩師の遺志の実現に尽力しました。
校舎にしても、ミッションの援助で早くからレンガ造りの洋館(チャペルを始め、現在5棟が重要文化財)が建てられたり、新島の母校(アーモスト大学)から同志社アーモスト館が贈られたりしました。それらは、いまも同志社国際主義のシンボルです。
キリスト教文化センター行事
〈キリスト教文化センターで行っている主なクリスマスのイベント〉
- クリスマス・イルミネーション点灯式
- クリスマス・イブ礼拝
〈その他のプログラム〉
- チャペル・アワー
- メディテーション・アワー
- Doshisha Spirit Tour(熊本キャンプ、東京・安中キャンプ)
- Doshisha Spirit Week
- オープン・プログラム、公開講演会 など
キャンパス内にある礼拝堂
同志社礼拝堂(重要文化財/今出川)
1886年竣工。前年の定礎式で、新島は「此礼拝堂ハ我同志社ノ基礎トナリ、又タ精神トナル者ナレバナリ」と言っています。日本のプロテスタントの煉瓦造りの礼拝堂では、最古。アメリカン・ゴシック調の鉄板葺。急勾配の切妻屋根が美しく、内部はプロテスタントの会堂らしい簡素な造りで、窓は木枠組に色ガラスを入れてステンドグラスを模しています。現在は、礼拝、講演会、卒業生の結婚式などに利用されています。
クラーク・チャペル(クラーク記念館:重要文化財/今出川)
1893年竣工。アメリカのB.W.クラーク夫妻から、亡くなった子息の名前を冠するなどの条件のもと、1万ドルの寄付がよせられました。ドイツのネオ・ゴシックを基調とする重厚な建物で、天を突く尖塔は、同志社のシンボル的存在です。老朽化のため2003~2007年にかけて大規模修復工事を行った際に、2つに仕切られていた教室を本来の姿へ戻しました。チャペルは礼拝、講演会、結婚式などに利用されています。
神学館礼拝堂(今出川)
1963年に竣工した神学館の3階に位置しています。入口の壁面には、ヘブライ語で創世記第一章一~五節が刻まれています。チャペルの天井から茨の冠が吊るされており、正面にある田中忠雄によるステンドグラスから柔らかい光が差し込んできます。右側の壁にある、田中の「聖霊降臨」を描いた油絵の人々が、ステンドグラスのキリスト像を見上げているように見えます。
同志社京田辺会堂言館(KOTOBA-KAN)
礼拝堂(京田辺)
2015年に竣工したこの建物はガラスの大開口で外部への開放したデザインのため礼拝堂の様子を間近に見ることができる親しみのある空間となっています。同志社京田辺会堂は礼拝堂のある言館(KOTOBA-KAN)、ラウンジ等をもつ光館(HIKARI-KAN)で構成されています。ラウンジでは同志社の歴史と建学の精神を知ることができる資料を展示しています。
お問い合わせ |
京田辺事務室〔同志社京田辺会堂 光館(HIKARI-KAN)〕
TEL:0774-65-7370 今出川事務室〔クラーク記念館1階〕
TEL:075-251-3320 |
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